Photo8     外郭から見た土塁
本丸の外郭から本丸西北隅の土塁を見たところである。
本丸からの写真としてPhoto5で紹介した部分を外側から撮影している。
土塁に植えられている杉の木からもその大きさが創造できると思う。
土塁の手前に写っているのは二重の土塁によってできた堀で、Photo2にて紹介した写真を逆から撮影した形となっており、現在では自動車も通行可能な道として使用されている。

Photo9     本丸西の堀跡
Photo2では土塁の傾斜が風化のために緩くなっているが、城が機能していた頃はこの写真のように急斜面となっていたに違いない。
右に写っている家の部分は外郭に相当する部分であるが、この城は特に西北に対して構えがされている。
多分武田信玄との戦が本格的になってきた永禄年間の初めに、榎下城にあった安中越前守忠政によって磯部城と榎下城との中間の簗瀬に繋ぎの城として築かれたのではないかと想像される。
信州より侵略を繰り返す武田信玄に備えて街道と信濃方面である西北に構えが厳重となっているのではないかと推測される。

Photo7            簗瀬城            Photo10


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